前書き

 30余年程前、父から戦争体験の起稿した原稿の内容や表現と出版できるか相談を受けた。

 いかなる文豪や突き抜けた文才があっても、おそらくこの戦争の表現は言い表せないであろう。
また、反響も大きく生きている方も居られる場合、、思い出されてのフラッシュバックをされる方も
あるやも知れず、発行その後の影響や多いのではと思い、発行をするべきではないと思いました。
ただ、本当の戦争の表現が他の戦記を見ても、武勲の影響を意識してかきれい事で書かざる
おえないように見えて限界も感じる。
 記述した方には申し訳無いが、自分に関する事と、当時の関係者に影響を心配することから
書けない事から来る自主制限からだと思うのです。

 私は、1972年から74年10月までの2年6ヶ月アフリカを自転車で廻る旅から帰ってきて、
同じ年月2年6ヶ月掛かって何とか日本の習慣に順応でき、日本の自分に順応したが、
その間テレビを見る気にもなれず、馬鹿げた番組や、ものの見方、価値観が違ってしまい、
今現在でさえ突然当時使っていた言葉や体験が脳みその中に現れるのです。
 父にとっての過酷な8年間の死闘と体験が日常に埋没することは無かったと思うのです。

 私も帰国後4〜5年経って紀行文を書かないかというお誘いがあり、父もそのルートで、
忘れてはいけない事を書き留め私に託しましたが、私自身は、アフリカに入ってエチオピアの
広大な大陸を走っているうちに、有名になる為に旅行をしているのではないと思った事もあり、
ためらってました。

 原稿を見る前に、父の場合の体験は、日本の戦争反対の方にも、右の方にも知って欲しい
気持ちが有るのですが、アフリカへ行く前に聞かされていた話から、想像のつく内容と場面に加え、
平穏なご遺族にもためらいや海外への影響も心配でありました。

 真実を語り、文中に実名が登場している原稿は、それだけに真実であり影響も大きく、存命者・
ご遺族も居られる中で覚悟が必要です。

 しかし、一度戦争がおこると、これだけのひどい戦いに巻き込まれる現実は知って欲しいし、
広く知ってもらえれば仮に再び戦う時代が起きた場合、これほどバカバカしい戦いを繰り返えす事の
ない戦いになって欲しいと願望します。
ひとたび戦争が起これば、 形は違っても上官は、死ぬ戦いにも冷酷に出陣の命令は下すことを
覚悟して欲しいのです。

その様に書きますと、私を非難する声も生まれると思います。
 戦争は二度と起こさない。とか、平和ボケからは、国旗に対しての無礼を発する輩も居ます。

 それらの人は、歴史の勉強で何を学んだのでしょうか?
人類の歴史は侵略と略奪、強姦に抹殺の繰り返しであり、誰も此れまでに責任を取った歴史は
無いのです。
強烈に歯向かうものが居れば、解決は簡単で頭をぶち抜けば終わるのです。

 訪問した国で朝に国旗が揚がる時、坐っていたら銃を向けられたりすることを、平和ボケが
知らない事が不幸です。
 また、兵隊が自分のミスで車を転覆させた時に近づいたら、興奮した兵隊が銃をむけ、今にも
撃ちそうな状態にも。もし撃たれても大した事にならないのが、世界の常識なのです。

 私がアフリカを離れてのち、いくつの国が国名が変わりました。当時羽振りの良い大統領は
国外に逃げ、内乱・虐殺は無抵抗な者の頭をカチ割ることは本当に行なわれているのです。
国の体制が変る暴動でテレビを通して、私が会ったであろう方々の膨れ上がった死体が映し
出される現状は、画像になっただけでも幸いなのです。

 人間の命は、決して重いものではありません。まして、地球より重いと言う言葉を真に受けては、
何個有っても地球が足りません。
 世界の常識は、2人助ける事がで切るなら、一人と交換することもあり、大儀があれば、
1人を助ける為に多くを犠牲にする判断もあるのです。

 父の体験話は、大変重い内容でもあり、戦争の手記は、本当の悲惨さを書いていても、戦争を
表現するには書き表せない難しさがあると想像します。

(怪我をすれば将校は後方に戻れる)

 願わくば、生残った兵隊の立場それとして、終戦まぎわまで戦い死んで行った絶望の無念。
招集されて投入された兵隊で、戦死して行った兵隊と送り出した家族ある一人一人の人生を思う時、
理不尽な命令により戦死・病死していった1銭5厘の兵隊さんの無念を、行間に思い起こして
読んで頂きたいと思います。

国という形がある以上、今後の世界に於いて国の衰退や滅亡があることは歴史が語っています。
話せば判るなどと戯けた方々には、目の前で身内が犯され殺される様を凝視できる度胸は
お持ちでない絵空事でしょう。
もし、戦いが起こるなら、一人一人が大儀を持って闘う覚悟と、せめて腹一杯喰えて闘うことが出来る
戦争であって欲しいものです。 ただし、その方向に行く前には、それを回避する方法は、それが
行なわれる遥か前に、英知を使って少し方向を変える事で回避できる事を、読んで頂いた方々各自
肝に命じて頂ければ幸いです。


 補足:文中に、1日の中で「天皇陛下万歳」と上官が叫んで死んだ話と一兵卒が同じく叫んで
死んでいった記述が有りますが、父は驚きを持って表現しており、そこだけ切り取られると真意が
伝わらず不本意な印象となります。
1日に2人がこの言葉を発したのを聞いたのが珍しく、その驚きの表現であります。
それ以外の多くの兵隊は、故郷を思い、母・父の名を叫んで断末を迎えたと言っておりました。
(あえて父母とは書きません)