日本人はHONDAを治せるIオートバイの話


エチオピアからサハラを越え、ケニヤ ナイロビまで下ってきた。
休憩する所を探して、ナイロビ シテーパークにあるキャンプ場に辿り着いた。


 キャンプ場には、ヨーロッパ方面や各地から来た自動車での旅行者達が、次の行き先への情報交換や準備や
車のメンテナンスなど、思い思いのスタイルでキャンプを張っていた。
 リフレシュの観光に出かけたり、彼らの車での観光は、実に行動的であった。

 自分は自転車をテントの横に立て次の行き先の情報を取りながら、ドイツ人とフランス人の車のメンテ(というよりも
修理)風景を見ながら、2CVやVW(別々の行動グループなのに車は自国でないのが面白い)。興味があった2CVの
サハラを越え受けたダメージや構造と問題点等を教えてもらった。

 そんな中、エチオピア人が、私のそばにやってきて、あなたは日本人か!
日本人ならHONDAが治せる筈だ!と言ってきた。メチャ乱暴な話です。
彼は私の走ったルートから来たとの事だ。

 どうしたのかとたずねたら、燃えたた言う。GSタンクは焦げてただれたようになっていた。
配線はみようみまねで繋いだが、エンジンが掛からないとの事だった。

 とりあえず、日本人である以上やってみると言うことで、預かる。
確か550ccのエンジンだったと思う。HONDAにこんな排気量のエンジンが有ったのかとその時は思った記憶がある。

 日本人ならHONDAは治せるようだ。程なく掛かったエンジンを彼に見せると、お礼に好きなだけ貸してやると言われた。

 ジャカランタの花が咲き乱れ香が充満するナイロビの街中を、疾走させる快感は自転車にはない思いであった。
何せ、自転車で走っていると、現地の人は、私に向けて「ポレ サーナー」と哀れみをもって声を掛ける。
彼らの見る外人の旅行は自動車と限っているのである。外人が自転車で旅行している姿は、実に哀れっぽいと言う訳であろう

【ポレ サーナ】 とは、(かわいそうに) と いう意味である。 でも、本当は彼らより少しはお金を持っているのであるが・・・・。

国際免許には自動二輪のハンコもらってます。国際免許の有効期間は1年間のみ。

 それから1年が過ぎた頃には、ザイールと言う国に居ました。
7ヶ月のザイール国内 テンベアー も飽き気味と言うか、ビザの関係も有ってこれ以上留まるには面倒なので隣の
中央アフリカ共和国へ僻地国境を抜ける事にした。(ビザが切れのが確実だから)

 国境に向かっての道すがら、中央アフリカの親戚の家に行くというザイール人のオートバイとであった。
細い道は、たまに降るスコールでぬるぬるでスベリ安い。

声を掛けると、すべってクラッチレバーを折ってしまって動けない状態であった。

 何ccかは思い出せないが、HONDAの125ccまでのものだと今は思う。
と言うのは、私のはじめてクラッチ付きのバイクは、例の2穴おまわりBIKEのHONDAで55cc。型が同じだった。

 彼にクラッチを使わないでシフトアップ・シフトダウンの方法をレクチャーすると、うまく乗りこなせるようになった。

彼は礼を言い喜んで私の行く方向へ走り去った。

 通関手続きを済ませ、自転車と一緒にカバがいると言う小さな川を丸木舟に乗せ、命懸けで渡ると、
そこは中央アフリカの地。

 ビザは首都まで辿り着けるには少なすぎる8日間、1日100km走らないと切れてしまうせわしなさです。

 公園のようなところでキャンプを張っていると、例のオートバイの彼が歩み寄ってきた。
残念ながら入国した途端に役人に取り上げられたそうだ。

私は今では、
オートバイはHONDAと決めている

イハートーブ と 私 レストア風景
モトコンポ と 私 レストア風景